病歴からできる診断とは?中島敦「名人伝」から紐解く
1970年代の医師は, 現代ほど診断するための検査機器がなかったことだろう. しかし, 当時の研究によると, 病歴でおおむね診断はできるのが82%はあり, 9%が身体診察で,9%で検査にて診断ができるといっていた(Hamptom JR, et al. Br Med J 1975:2:486-9). 現代では, US, CT, MRIなどの画像機器に加えて, さまざまな外注検査による特殊検査, 遺伝子検査による更なる精緻な診断が可能な時代になっている. もちろんこれらの機器は診断精度の向上の面では有益なのだが, 一方ではこのことに過信になりすぎて, 臨床診断における病歴聴取力そのものは退化してきた医師も多くなったのではという気がする. 使わない能力は退化するものであるからである.
病歴から的を絞った検査で診断を確定するのが本来は臨床医の醍醐味であろう. これだけ安易に検査ができる体制にある現代の日本の医療の中で, この姿勢を貫くのは一種の修行に似ている気がする. 有用な道具を使うことを敢えて行わずとも, その道具を使う前に相手の本質を知るという姿勢を持つことが病歴聴取の重要性を失わせないことではなかろうか. 刑事がタバコの吸い殻から犯人を特定するような, そのような瑣事が重要なヒントになること知ることは, 過去の事例も踏まえて事件の全体像がみえてこそわかるものであろう. 同様なことが診療医にも求められていると考える. その過程は, 義務教育のどこかで面白い寓話として読んだ中島敦「名人伝」のことが思い起こされ, 類似点があるように思えたので当日の発表ではこのことを概説したい.
臨床診断における病歴聴取は, さまざまな病態生理の理解に基づく疾患への深い洞察が必要である. 臨床医としてその知識を深くするのは一種の修行に似ており, それを教えることのできる師匠の存在が減ってきていることが問題の深刻さであろう. Generalistに共通した能力として, 病歴聴取の達人を育ててゆく姿勢が大事である.