膵移植黎明期におけるnon-heart-beatingドナーからの膵移植の経験
◎寺岡 慧1
東京女子医科大学1
1984年に筑波大学病院で実施された脳死ドナーからの膵腎同時移植(SPK)はわが国の臓器移植に大きなインパクトを与えた。我々は膵移植実施に向けての基礎的検討に取りかかり、動物実験を繰り返し、膵の阻血限界、血栓形成機序の検討、次いで摘出・移植術式、免疫抑制法、血栓予防法などのプロトコールを作成した。倫理委員会で臨床膵移植の承認が得られ、その具体的準備を開始した。
1990年にNon-heart-beating donor(NHBD)からのSPKを実施し、透析(10POD)・インスリン離脱(15POD)が得られた。その後10例の症例を追加したが、1995年に腎移植普及会が日本腎臓移植ネットワークに改組され、腎の配分ルールが1-keep、1-share(摘出チームが1腎を移植できる)から2-share(2腎ともネットワークで配分する)に変更されたため、事実上SPKの実施が不可能となり、いったんNHBDからのSPKプログラムを中断した。
その後臓器移植法の成立と共に日本臓器移植ネットワークが構築され、法の下での脳死ドナーからの臓器移植が開始された。SPKのための腎の配分ルールの策定の遅れが懸念されたが、これについては腎移植側と膵移植側との協議により、DR抗原が1抗原以上適合する場合は、1腎を一位SPK希望者に配分することで決着がついた。
膵移植はI型糖尿病の根治療法としてほぼ定着したが、今後は症例数の増加に加えてその成績を更に向上させることが大きな課題である。そのためには血栓形成と拒絶反応の克服が重要である。血栓形成については脾静脈内径と血流のミスマッチ、膵浮腫による毛細血管の狭小化と赤血球膜変形能の低下、脾静脈血中のTXB2/PGI2比の上昇、腸骨静脈圧迫症候群とspur formation(May-Thurner syndrome)などへの対策が必要であろう。
略歴
昭和45年8月 東京大学医学部医学科卒業
昭和53年4月 東京女子医科大学第3外科入局
56年4月 東京女子医科大学第3外科助手
58年6月 同 講師
平成元年2月 同 助教授
4年7月 同 教授
平成13年4月 東京女子医科大学 先端生命医科学研究所代用臓器学教授 兼務
平成17年4月 東京女子医科大学 大学院看護学研究科教授 兼務
平成22年4月 国際医療福祉大学熱海病院院長・移植外科教授
東京女子医科大学名誉教授
平成24年4月 国際医療福祉大学小田原保健医療学部長 兼務
平成26年7月 国際医療福祉大学熱海病院名誉院長
令和元年3月 国際医療福祉大学退職